乳がんと仕事の両立(1)しこり発見【シングルマザーの体験記】
こんにちは
女性のお金・仕事・離婚まるごと相談室 棚橋 あきらです。
私は、45歳の時に乳がんが見つかりました。
5年後の今・・
再発・転移の可能性がゼロではないけれど
私らしく元気に暮らしています。
私の体験記が
少しでもお役に立てたら
との思いで、
この5年間に体験してきたことを
お伝えさせていただきます。
〜今回の目次〜
・ある朝突然、しこりを発見
・仕事を休んで病院へ
・主治医との出会い
・これからどうしよう
次回以降お伝えするのは
◆治療と仕事との両立
◆副作用のこと
◆乳がんとお金
◆治療後の通院・後遺症
◆がんが私にくれたギフト
などです。
ある朝突然、しこりを発見
忘れもしない45歳の9月のある朝
会社に出勤する身支度をしていたときのこと
右胸の脇の下近くに
梅干しの種のようなしこりを発見しました。
右手が、偶然触れたそのしこりは
表面がザラザラしていて、とても固く、
まさに梅干しの種にそっくりでした。
私は一瞬で「がんだ・・」
と悟りました。
どうして突然、こんなに大きくなったの?
普通、自分で触って見つかるしこりは
米粒くらいの大きさと言われているのに・・
同じ年の2月だから
約7ヶ月前に
人間ドックでマンモグラフィーを受けたけど
判定は「A」だったはず
それに、
ブラジャーをつけるとき
いつも触っている場所なのに・・
でも、
これは乳がんに違いない。
どうする?私・・
ショックより
すぐに動かなくちゃ
と頭がフル回転していました。
会社を休んで、病院へ
家では、何事もなかったように
いつもどおり出勤の身支度をして
2月に受けた人間ドックの結果票をカバンに入れて
家をでました。
最寄駅に着いてから
人間ドックを受けた大学病院に電話をかけ
しこりを見つけたので
今からすぐに診て欲しい、と告げました。
病院から
予約が優先なので
お待たせしますがどうぞ来てください
と言われ
初めて聞く名前の
「乳腺外科」を目指して病院に向かいました。
病院近くまで行ったところで
上司が出勤する時刻になったので
会社に電話をして
体調不良で病院に行きたいと
有給休暇の申請をしました。
実は、体調不良を理由に会社を休むのは
この時が初めてでしたので
なんとも落ち着かない気分でしたが
命がかかっているのだから
と自分に言い聞かせたのを覚えています。
主治医との出会い
大学病院の乳腺外科は
混み合う外来とは別のフロアにあり
とても静かでした。
朝の8時半頃でしたから
まだ予約の患者さんもほとんどいなくて
待ち合いの椅子はどこも空いていました。
予約なしなので
何時間でも待つ覚悟で座っていたら
男性の医師が通りがかり
「どうしたの?」と声をかけてきました。
私は、人間ドックの結果票を見せながら
今朝、梅干し大のしこりを見つけたこと、
予約はしていないことを告げました。
すると、その医師は
「そう、じゃあ、今まだ誰もいないから診ようか」
と診察室に案内してくれたのです。
神様に会ったような気分になりました。
そのときの医師が私の主治医です。
この様子からもお分かりのとおり
主治医は、とにかく仕事が早い方で、
本当に救われました。
診察室に入るなり
看護師さんに検査の指示を出しながら
私を横にならせて
触診、超音波検査を行い
悪性の可能性があると言いながら
次々と
検査の予約を入れていきました。
大学病院の検査は通常、予約でいっぱいなのですが
主治医は、直接、各検査科に電話をかけて
その日のうちに、できる限りの検査を受けられるようにしてくれました。
その様子から
主治医も悪性だと確信していること
腫瘍が既に大きくなっているから緊急を要すること
を察しました。
これからどうしよう
その日から2週間は
不定期に病院に通い
いくつもの検査を受けました。
生検検査(腫瘍の細胞を大きな注射針でとるもの)
血液検査、CT検査、MRI検査
超音波検査、マンモグラフィー
そのとき初めて知ったのですが
乳がん、と言っても色々なタイプがあるそうで
どんなタイプ、性質なのかを検査するためには
最低でも2週間はかかるのだとか。
そのときの私は何も知識がなかったので
「子どもがいるので、とにかく早く手術して切り取ってください」
「胸はなくなっても全然かまいません」
と訴えていました。
乳がんのタイプによっては
手術ではなく
抗がん剤治療の方が効果があることを説明されて
頭が真っ白になっていきました。
抗がん剤治療というのは
1回ではなくて
最低でも8回はある。
間隔を空けなければならないから
1年近くかかるかもしれない。
抗がん剤にも種類があって
がんのタイプ
私の体質などによって
効果があるもの、ないものがある。
効果があるものが見つからないこともある。。。
胸がドキドキしてきましたが・・
とにかく
主治医を信じて治療しよう
と決意しました。
「死ぬかもしれない」恐怖よりも
「まだ死ぬわけにいかない」気持ちが
勝っていたようです。
そして
仕事も辞めずに続けよう
できるだけ今までどおり働き続けよう
と心に決めました。
子どもとの将来
今、仕事を辞めたりセーブしては
生きていけなくなってしまうからです。
当時、家庭環境はとても複雑だったので
身内には、治療法が決まってから伝えるとしても
できる限り
一人で頑張ろう!と覚悟を決めていました。
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それでは今日はここまでにさせていただきます。
最後までお読みくださり
ありがとうございました。